高齢化社会における生き方

 うちの会社の近くに、かれこれ半世紀も続く小さな洋食屋がある。ハンバーグやオムレツ等のメインディッシュはもとより、新鮮なサラダに自家製ドレッシング、そして熱々の味噌汁が付き、価格も手頃なので、ランチによく利用している。昼時はサラリーマンや中高年の固定客等でけっこう賑わっている。お店は老夫婦(マスターと奥さん)二人だけで運営している。マスターがコックで、奥さんがウエイトレスである。

 

 実はこのお店、特に混んでくると、マスターと奥さんの関係が悪化してくる。原因は、奥さんが客のオーダーの順番を間違うことが多いからだ。オーダーを受ける時はいいのだが、料理を出すときに間違えたり、こんがらがったりして、マスターがそれに対してブツブツ小言を言うのだ。さらに、マスターはマスターで耳が遠く、奥さんの声が良く届いていないこともあり、意思の疎通にも難が生じている。

 なぜ、奥さんは客のオーダーの順番を間違うのか、これは私の推測なのだが、老齢化による記憶力の低下ではなかろうか。奥さんは客のオーダーに対してきちんと伝票を書いてはいるが、その後に伝票を確認することはなく、結局間違えてしまう。たぶん若い頃は、伝票などを確認しなくても自分の記憶力で間違えることはなく、テキパキと客をさばいていたのであろう。昔と同じ感覚で仕事をしていて、頭がついていかないようである。

 私は老夫婦を非難するつもりは全くなく、老齢化とは頭と体が衰えるということを例示しただけである。

 

 日本の税収が約59兆円しかないのに、社会保障費は約33兆円に達しており、当然税収だけでは国家予算を賄えず、膨大な借金を積み重ねている。普通の会社ならとっくの昔に倒産しているレベルである。今後も社会保障費は増え続け、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる2025年にピークを迎える。これが2025年問題である。

 

 結局、この状況から言えることは、基本的には国民全てが死ぬ直前まで現役で働く必要性があるということだ。老後を国に頼ろう等とは考えない方が賢明である。高齢者の側にしても自分の食い扶持は自分で稼ぐ位の意識でないと、質の良い生活は望めない。もしも定年後はのんびり暮らそう等と思っているならば、考え方を根本的に変えた方がいい。一生健康で、現役を貫き、国には頼らず、人生を楽しむという考え方に。

 

 さて、近所の洋食屋に話を戻すと、オーダーの順番間違いなどが時々発生するのだが、お客の方はいたって冷静で、あちらの方が先ですよ等とフォローしてくれたりして、怒るお客さんはほとんどいない。これからの高齢化社会におけるキーワードは「思いやり」と「助け合い」になるのではないかと思われる。