日本のラテン系

 学生の時まで西日本に行ったのは修学旅行の時だけだった。社会人になり20代も後半になると、中国四国、関西等に出張するようになり、あることに気付いた。西日本の人たちは、基本的にお喋りだということだ。

 

 例えば、大阪の喫茶店に入ると、自分の私生活等のことを機関銃のようにしゃべりまくっているおばちゃんに出くわすことがよくある。しかも声がでかい。こういう人は東北にもいることはいるのだが、関西の10分の1以下の割合ではなかろうか。

 大阪のおばちゃんだけでなく、西の人は普通の会話でも一言二言余計である。内容もストレートなので、なにげない会話が漫才のようにテンポよく聞こえたりもする。

 この明るさはまるで日本のラテン系だと思った。

 

 人に対して話しかけることは、人に対して仕掛ける(積極的に働きかける)ことだとも言える。昔、経済学で学んだゲームの理論によると、交渉等の場において、先に仕掛ける側の方がそれを受ける側よりも常に確率的に有利である。(実際には有利になったり、不利になったりするのだが、有利になる確率の方が不利になる確率よりも高いということ)

 

 過去の歴史を見ると、新しい文化や流行は西の方から押し寄せてくる傾向が強いような気がする。日本の代表的な商人(あきんど)も、大阪商人や近江商人等の西に偏っている。それは関西をはじめとする西日本の人たちの積極的で前向きな気質と深く結びついているのではないだろうか。

 

 別に自分を蔑むわけでもなく、悲観している訳でも全くないが、私を含めた東北人はもっとストレートに、時にはずうずうしく言葉を発して、自分自身を表現してもいいのではなかろうか。言葉を多く発することで、損をすることはほとんどないし、自分の考えを言語化することで、自分の内面が明らかになってくることもある。

 

 視点を変えてグローバル的な観点から考えると、日本人は自分の考えや意見を人前で述べるのが苦手である。以前、日中韓の国際会議に参加したことがあるが、日本人は発表内容ではピカイチであったが、スピーチが下手くそで、発表者は下を向いて原稿を棒読みするばかりであった。それに比べ、中国人と韓国人は、発表の中味はイマイチなのだが、スピーチは堂々としており、とても喋り慣れている感じがした。

 文化的な違いもあるが、外に対して積極的かつ意図的に言葉を発信していかないと、そのうち日本の国自体が忘れ去られてしまうことになりかねない。