村上春樹と私

 目の前のテーブルの上に、本日発売の村上春樹の新作「騎士団長殺し」の上下2巻が置かれている。今日の朝一で手に入れた本である。本当は今すぐ読みたいが、読み始めると、他のことが手につかなくなるので、今しばらく我慢することにしよう。

 

 村上作品との出会いは、不惑の歳の頃であったと記憶している。ハルキ歴は短く、10年ちょっと程だ。

 最初は、何かのきっかけでハルキ氏のエッセイを手にしたのが始まりだった。語り掛けるような軽い感じの作品であったが、ユーモアを散りばめながら本質を突く、プロフェッショナルな文章であった。エッセイを3、4冊読んでから、初期の大ベストセラー小説「ノルウェーの森」を読んでみることにした。

 その当時フィクションに対してあまり関心がなかったので、正直あまり期待していなかったのだが、読んでみると村上ワールドに完全にはまってしまった。時空を超え、純愛小説の主人公になりきっていた。

 

 それから村上作品を次々と読破していった。水が流れるようなとても流暢な文体。読み易く、それでいてとても深く、かつ面白い。今まで読んだどの小説にも似ていなかった。感性が日本人離れしている。

 

 村上作品だけにとどまらず、村上作品に影響を与えた外国の作品まで読むようになった。ドストエフスキー、トルストイ、ディケンズ、フィッツジェラルド、カポーティ、サリンジャー等、読書の幅が大きく拡大した。

 

 周りを見てから後追いする横並び意識、論理よりも組織の和が重視されがちな官僚的なサラリーマン組織、これらは特に日本社会に見られる顕著な特徴である。村上作品に共通するのは、こういった群れ(組織)から距離を置く主人公の存在であり、主人公は必然的に孤独感や疎外感を抱えている。それでもなお自分の運命を受け入れ、自分の生き方を貫こうとしていく登場人物の姿が、普遍性をもって世界中の人たちに支持されているのではないだろうか。村上作品の中には、人と同じである必要はなく、自分の生き方をすればいいという、メッセージが隠されている。

 

 さて、夜も更けてきたが、これからハルキ氏の新作を読むとしよう。