逃げるときと、逃げないとき

 20代後半に突入した頃、夕方、自宅近くを運転していたときの出来事であった。車を路肩から車道に出したとき、ものすごいスピードで後方から車が迫ってきた。どうもヤンキー車のようで、通行を妨げられたと思ったのか、執拗にパッシングを浴びせ、蛇行運転をし、後ろから煽ってきた。そのうち落ち着くであろうとそのまま普通に走っていたが、交差点を二つ曲がっても、後方から執拗にパッシングを繰り返してくる。しかたなく、路肩に車を寄せ、道を譲って、通り過ぎてもらおうと思ったが、そのヤンキー車も私の車の後ろの路肩に停車した。やれやれ、とりあえずは謝るしかないかと思いながら車を降りると、後ろの車からアントニオ猪木のような大男が降りてきて、こちらに向かってきた。大男は「このやろう!」と叫びながら、いきなり拳を振り下ろしてきた。私はとっさにパンチをよけたが、よけた反動でメガネが地面に落ちてしまった。ここで、相手に反撃をくらわせればかっこいいのだが、私は逃げた。メガネも車も捨て、ひたすら逃げた。「こら!待て-!」と大男は叫んでいたが、振り向きもせずに、近くの自分のアパートに逃げ込んだ。 

 その後の記憶があやふやなのだが、大男はその場で警察に御用になったようである。事の一部始終を通行人が目撃し、すぐ近くの派出所に通報したようである。大男は、私が去った後、私のメガネを踏みつぶし、さらに車に危害を加えた。大男は酒気帯び運転であった。

 いま思うと、あのとき逃げて本当に良かった。こういう時は逃げるが勝ちである。

 

 大学を出て会社に就職してから、社会人としての危機が3~4回くらいあった。いずれも自分の甘さや至らなさが原因であったのだが、心身ともにぼろ雑巾のように疲れ果て、自分のやっていることが何なのかもわからなくなってしまったことがある。しかし、私はそこから逃げ出さずに踏みとどまった。そのことだけは本当によかったと思っている。もしもあの時、安易に逃げる道を選択していたのなら、その後の人生も変わっていたかも知れない。

 

  人生には、逃げるべきときと、逃げてはいけないときがある。

 

 最初の話の後日談だが、その後加害者である大男と示談交渉を行ったが、素面の大男は借りてきた猫のように小さくなり、蚊の鳴くような声で、すみませんでしたと繰り返し頭を下げた。実は彼は20歳と若く、働いてはいるのだが、示談金(損害賠償と慰謝料)を支払う資力がほとんどなかった。彼は、どんなことをしてもお金は払うので、親にだけは連絡しないでと哀願したが、私はそれを無視し、親を呼び寄せた。親はいかにも田舎から出てきたような、素朴で貧相な感じの夫婦で、申し訳ございません、お金はこれしかありません、これで勘弁してくださいと、深々と頭を下げ、請求額の半分ほどを差し出すのであった。やれやれ、勘弁してほしいのはこちらのほうだ。私は仕方なくその金を受け取り、示談は成立した。