脱“○○”の勧め

 脱“○○”の“○○”には何が入るであろうか?

 独立開業を目指している人には“サラリーマン”が入るかもしれないし、親に経済的に依存している人は“親のすね”が入るかもしれない。あるいは人の名前や会社の名前をそのまま入れてもよい。倦怠期に入っている夫婦には、夫や妻の名前が入るかも知れないが、その話はやめておこう。結局、十人十色で、現状を変えたいと思うような言葉を入れれば何でもいいのである。

 

 わたしはダイエーという流通業の会社で11年働いたが、働きながら脱“ダイエー”とか、脱“流通業”とかを常に意識していたし、現在は、脱“不動産鑑定業”ということを、結構まじめに考えている。

 

 ここで大事なのは実際に脱却を図れたかどうかという結果ではなく、脱却を図るためにいかなる努力をしたのかというそのプロセスである。脱“○○”を図るためにはそれなりのパワーが必要であり、それは自分自身を変えていくという地味で孤独な行動が不可欠である。

 

 これは極めて個人的な意見であるが、生きがいというのは、自分自身が変わるプロセスの中で、最も感じることができるものなのではないだろうか。それは現在の自分自身から脱却することであり、そこには成長があり、喜びがあり、そして生きる意味があると思う。

 

 同じ業界の人たちと話していて、どうして既存の枠組みの中でしか物事を考えることをしないのかと思うことがある。これは普通のサラリーマンにも言えることで、よく職場の愚痴ばかり言う人がいるが、話が堂々巡りで、発展性が全く感じられないことが多い。

 

 脱“○○”を心掛けるといいことがあるが、それは脱“○○”を考えて行動しているうちは、歳を取らないということだ。若いときから安定志向で、余暇を楽しむことばかりに生きがいを感じているような人もいるが、そういう人はたとえ若くても、心は年寄りである。

 

 攻撃は最大の防御とも言う。脱“○○”を心掛けて、自由に生きることをお勧めします。ただし、自由は甘くはないし、自己責任ということもお忘れなく。