バトン

 今日のランチは事務所でトースト、じゃがいも、きゅうり、トマト、チーズ一切れを食べた。じゃがいもはレンジでチンをして塩を振って食べる、きゅうりは味噌を付けてそのままもろきゅうで2本、トマトは中サイズのものを生で1個食べる。実はじゃがいも、きゅうり、トマトは父と母が家庭菜園で作ったものである。特にきゅうりとトマトは今まさに収穫時期で、このところ毎週食べきれないほど大量にもらい、近所の人にあげたり、家庭や会社で消化したりしている。

 

 父の膀胱に腫瘍が見つかり、先月、内視鏡による手術が行われた。父は1週間程で退院し、ほとんど元と同じように暮らしており、いまのところ術後の経過は順調である。

 

 最近、永六輔さんと大橋巨泉さんが亡くなったが、永六輔さんは父より1つ歳上の昭和8年生まれ、大橋巨泉さんは父と同じ昭和9年生まれである。

 

 人は生まれた直後から、一歩一歩着実に死に向かって進んでいる。死は誰にでも訪れ、万人に対して平等である。早いか遅いかの問題はあるが。

 

 毎日どこかで誰かが死に、どこかで子供が生まれている。死とは誰かにバトンを渡していくことではなかろうか。死に逝く者はバトンを渡し、バトンを受け取った者もいつか死に直面し、誰かにバトンを委ねて去っていく。

 

 いずれは自分の親も亡くなり、自分自身にも死が訪れ、次の世代にバトンを渡す。そうやって世の中は変わりながら、続いて行く。

 

 じたばたしてもしょうがない。死ぬまでは自分らしく精いっぱい生きることが重要だと思う。