社会的損失

 自宅近くを散歩がてら近所のパチンコ店に入ってみた。パチンコ店に入るのは25年振り位であろうか。中に入ると、耳をつんざくようなパチンコ玉の音と電子音が襲ってくる。店内は昔のパチンコ店と比べて綺麗で、パチンコ台に映るキャラクターの画像は派手でけばけばしい。しかし、基本的には昔と大きく変わっていないようだ。

 

 学生の時にパチンコを始め、社会人になってからも続けていたが、勝っては負けてしばらく休止し、また勝っては負けてしばらく休止するといった感じで、のめり込むといった程ではなかった。ただ一度、1週間だけだが、仕事と寝る時間以外をほとんどパチンコ店で過ごし、パチンコにのめり込んだときがあった。休日は朝の開店から夜の閉店までパチンコをやり続け、仕事の日は仕事が終わるとパチンコ店に直行し、閉店までやった。初日が大勝し、翌日は負け、3日目がまた大勝し、4日目が負け、5日目が勝ち、6日目と7日目が連続して負けた。トータルは負けである。

 私はその日を境にパチンコをきっぱりとやめた。理由は簡単である。バカらしくなったからだ。

 

 現在山形に住んでいる高校時代の同級生がいるが、彼は大学を卒業して安定的な職業に就き、親元から職場に通い、現在も独身貴族の身である。数年前に彼と会う機会があり近況を聞いたが、休みの日はほとんど1日パチンコをしているとのこと。彼が言うには、‟別にパチンコで勝ちたいわけではなく、できるだけパチンコで長い間、時間を潰せればいい”と言っていた。

 昔から彼のことをよく知っているので、彼が怠惰な人間でないのは良くわかっている。何か現実的な目標があると、それに向かって地道にコツコツ努力できる人間であり、極めて真面目な性格である。その彼が生き甲斐を見失い、貴重な時間の多くをパチンコに費やしている。これは社会的損失ではないだろうか。

 

 私の会社の事務所は、郡山駅前の大通り沿いにある。そのせいであろうか、半年に1人位の割合で、本当に変な人が訪ねてくる。例えば、40代後半の自称「引きこもり鬱病」の男。彼はアパート投資をやりたいと言って、事務所に飛び込んできたのだが、いろいろ聞いてみると、30代前半から親が所有するマンションに引きこもり、働きもせず、親の仕送りで生活を続けているとのことであった。彼は自分のことをうつ病と言っていたが、私にはうつ病で引きこんでいるのではなくて、引きこんでいるからうつ病になったように思えてならない。アパート投資という非現実的な妄想を語る彼に対して私は、バカげたことを考えずに、まずは何でもいいから汗水たらして働きなさいと説教をしてしまった。

 特に最近福島県では、除染、建築土木、介護等、人手不足が深刻になっているが、一方では、働き盛りの人間が家に引きこもり、変な妄想を抱きながら歳をとっていく。これは社会的な損失である。

 

 余計なお世話かもしれないが、限られた時間をただ無為に過ごす人を見ると、本当にもったいないなあと感じてしまう。その人自身にとってももったいないし、社会にとってももったいないと思う。一人一人が社会の構成員として社会に貢献し、その見返りとして社会から恩恵を受ける、それが成熟した大人社会というものではないであろうか。

 こういった社会的損失を宝に変えていくことは、社会の活性化という点でも重要な課題と言える。