あれから4年

 東日本大震災から4年が経過した。

 地震の時はまだ開業する前であり、以前勤めていた会社の事務所でパソコンに向かって仕事をしていた。最初はたいした揺れではなく、すぐ収まるであろうと思っていたが、どんどん揺れが大きくなり、書類が散乱し、天井の空調や換気扇の蓋が外れて落下し、ガラスの仕切りが壊れて床に落ち粉々になった。これはかつて経験したことのない大規模な地震だと感じた。私はパソコンを落ちないように手で押さえつつ、倒れてくる物、落ちてくる物、飛んでくる物はないか、360度に全神経を集中させた。地震が止み、女性事務員はべそをかいていたが、私は地震が止んだとたんに散乱した書類を拾い上げていた。

 

 しかし、原発事故は余計であった。原発事故に憤りを感じるのは、自然災害のせいにできないためだ。憤りの矛先は当然の如く、安全配慮を怠った東京電力に向くことになる。原発事故から現在に至るまで、東京電力は原発事故の加害者ということで、批判を浴びせ続けられている。確かに東京電力は事故の責任を負い、被害者に対して誠実に賠償をしなければならない。また、最近の汚染水漏れ等についての情報公開の姿勢を見ても、その閉鎖的な体質、官僚的な態度には憤りを超え、呆れ果ててしまう。

 

 しかしここでちょっと考えてみたい。これって東京電力だけの責任にしていいの?

 

 東京電力のこの隠ぺい的で、閉鎖的で、官僚的で、全体主義的な企業体質はどこからきたのであろう。突然宇宙から降りてきたわけではないし、外国から輸入したものでもない。東京電力は極めて日本的な企業であり、日本社会が生み出したものである。グローバルな競争にさらされることなく、国内で独占的な地位を占め、あぐらをかいてきた。原発事故以前は超安定優良企業ということで、学生の就職ランキングも高かった。つまり日本村の頂点に君臨していた企業と言ってもいい。

 東京電力のこのような企業体質は、多かれ少なかれ日本のあらゆる組織(役所、企業、組合、学校等)や、そしてこれらを底辺で支える末端の家族に至るまで共通して内在する根源的な性質のものではないだろうか。だから問題の根は深い。東京電力を批判することは簡単であるが、そのように批判する自分たちの組織自体にすでに東京電力的な体質を内在しており、不都合なことを隠ぺいしたり、訳も分からず全体主義に流されたりしている。他人のアラはよく見えるが、自分自身は意外と見えない。自分自身を客観視することは思った以上に難しい。

 

 原発事故については毎日と言っていい程、何らかの報道がなされているが、ほとんどは被害者の現状や復興の取り組み、汚染水問題等の原発事故の後処理の問題である。原発事故はなぜ発生したのか、そして発生した背景にはどういう問題が潜んでいるのか、そのような報道は今ではほとんど見られない。確かに事故の後処理の問題は直近の重要課題であり、最優先事項である。しかし、最も重要なことは、その原因に真摯に向き合い、そこから学ぶことではないであろうか。

 

 合理性と柔軟性。東京電力に欠けるものである。同じことが、我々日本人にもいえる。結局、東京電力は鏡に映った自分自身の姿である。そして、そこから何を学ぶか。学ぶものだけが変わり、変わるものだけが生き残る。有史以来の歴史が証明している。