ダイエー②

チェーンストアにとってはお店が第一であり、お店のことを知らずして仕事はできない。よって、新入社員の最初の配属先は基本的に店舗である。私はダイエー仙台店に配属になった。昭和63年当時、仙台店は売上高200億円を達成し、全国のチェーンストアの中で頂点に立つ売上高日本一の店舗であった。

 

我々新入社員は厳しい新入社員研修を受けた直後であり、テンションが上がった状態で各配属先へと赴任したが、実際お店に配属になって、拍子抜けした。なんだ、この緩さは?こんなものなのか。当たり前と言えば当たり前なのだが、規律訓練もないし、バレーボールの鬼コーチもいない。社員だけではなく、パートのおばちゃんや学生アルバイト等の数も多かった。職場の人間関係も今よりずっと濃かったのではないだろうか。時代は昭和の終わりに位置し、会社はまだ疑似家族的であった。

 

新入社員は何かと周りから注目を集めプレッシャーを感じることもあるが、一方では、おばちゃん達からかわいがられたり、アルバイトやテナント従業員等からチヤホヤされたりして、初心を失う者も少なくない。

 

まず、新入社員はお店の教育トレーナーから数日間の基礎的な研修を受け、その後2か月程度の売場ローテーションに入る。売場ローテーションとは、1週間単位でお店の各売場を回り実習することである。例えば、今週は鮮魚売場、来週は子供服売場、再来週は荷捌場等と実習場所を移動し、売場や後方部門等を一通り経験するという研修である。売場ローテーションをすることによって、お店の全体像がつかめるだけでなく、お店の中で顔が広がり、仕事上(あるいはプライベート上)何かと役に立つことになる。

 

余談であるが、売場ローテーションの期間中に、大寝坊をしたことがある。売場での勤務時間は朝9時から夕方5時までと決められていたが、ある日目が覚めたのはなんと午前11時であった。慌てて支度をし、12時頃に恐る恐る店に出勤したが、1週間限りの居候の不在に売場の誰も気づいておらず、何食わぬ顔で戦線に復帰したことがあった。ただし、これ以降現在に至るまで寝坊による遅刻は一度としていない。

 

2か月余りの売場ローテーションを経て、正式に店舗内の配属先が決定する。多くは衣料品や雑貨売場、インテリア売場等を希望し、魚売場や肉売場等の生鮮売場を敬遠するが、希望通りにはいかず、悲喜こもごもである。各売場のスペシャリストを育成するという観点からか、または各商品部の結束力の強さからなのか、当時のダイエーにおいては、最初に肉売場に配属されたならば、その後も他店の肉売場や肉のバイヤー等というように基本的に同じ部門内での異動となり、最初の配属先は自分の一生を左右しかねないとても重要なことであった。中には希望の売場に行けず魚売場に配属になり、“大学を卒業して、魚屋かよ?同級生に顔を見せられないよ。”などとぼやく者もいたが、2~3年も経つと包丁1本で手際よく大魚をさばき、見違えるようになっていたりする。

私は日用品売場の配属となった。一応は希望通りであったが、敢えて競争率の少ない無難なものを選択した結果であった。決して褒められたものではない。

 

日用品売場に配属になり数か月経過した頃であった。仙台店の売上高200億円達成記念の社内パーティが店内で開催されることになり、中内功社長が出席することになった。ダイエーに入社して初めて経験する社長巡回である。社長が来る1週間くらい前から連日、深夜遅くまで残業をして、売場だけでなく、バックルーム(バックヤード)の在庫整理等を行う。普段は物で溢れ訳が分からなくなっているバックルームを、マニュアル通りにきちんと整理しようとするのだが、如何せん在庫が多過ぎて、どうにもならない。結局、取引先にお願いし、倉庫を借りて、在庫を一時的に隠すことになった。社長が巡回に来るということで、店だけでなく、東北事業本部のスタッフやバイヤー等も店に乗り込み、取引先を引き連れて、売場のてこ入れを行う。

 

記念パーティの当日、社長の現在の所在、到着予想時刻等の情報が刻々と店に伝わる。店の従業員だけではなく、商品部のバイヤー等も総動員で応援に駆け付け、社長の売場巡回に合わせ、みんなで売場に出て接客に当たり、活気ある売場を装う。品切れもなく、今までにないくらい売場は完璧だ。ただし、社長が帰るまでの間だけなのだが。

 

これはダイエー仙台店だけの話ではなく、基本的にどこの店にいっても同じであった。社長巡回時に合わせて売場を完璧にし、在庫を隠し、いつもこのようにきちんとやってますと店を装う。お客様のための売場ではなく、社長のための売場となる。

しかし、こういう会社の体質にしたのも、結局社長である中内さん本人であると言える。みんな中内さんを尊敬していたが、その一方で、とても恐れていた。社長の逆鱗に触れて、誰かが飛ばされたとかいううわさは、真偽はともかく、時たま耳にする話であった。

私はワンマン経営というのは、必ずしも悪いものだとは思わない。しかし、恐怖政治のようになってしまうと、周りはイエスマンだらけになってしまい、組織は弱体化する。

 

社会は戦後の混乱期、高度経済成長期を経て安定期に入っており、いつのまにか中内功は裸の王様になっていた、というのは言い過ぎであろうか?